ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

役者は意外と、自己の評価を他人に委ね、一喜一憂する人が多いのではないか。

 

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドを観た。

 

 

去年劇場で公開され、観ようと思ってすっかり観るタイミングを逃した。

監督は、クエンティン・タランティーノ。主演は、レオナルド・ディカプリオブラッド・ピット(この二人は初共演らしい)。

豪華な布陣です。映画好きがみんな観ている映画というイメージ。

 

前知識なしで観たのだけど、正直よくわからないまま、何の映画なのか把握できないまま終わってしまった。映画好きが概ね高評価を出しているこの映画だが、私は正直おもしろさがイマイチわからなかった。もちろん、シーンとして好きな部分や、最高だと主瞬間はいくつかあったのだけど、一つの繋がった作品として観た時に、期待していたほどではなかったなあと思ってしまった。

 

それでもぐっと来た部分は、やはり役者についての描写だろう。

中盤、ディカプリオ演じるリックが撮影現場でセリフを忘れ、自分を責め立てるシーン。

セリフというのは本当に不思議なもので、どんなに準備していても、練習していても、急に出てこなくなる瞬間がある。自分がセリフを忘れたことで、シーンの流れが止まってしまうし、周りがいいお芝居をしていてもそれをかき消してしまうし、努力不足だと思われるし、自分よりセリフが多いのに間違えてない人に顔向けできない。

役者にとって、現場でセリフを忘れるということ(しかも準備してきたのに)、もう最悪すぎるくらい最悪なのである。

 

ただでさえ、リックは自信を失いかけていたのに、現場でスタッフや今が旬の若手俳優の前でセリフを忘れることで、自分で自分のプライドにとどめをさしてしまった。だからこそ、あの激しい自己叱責なのである。「何をやってるんだ俺は!」と暴れ、叫び、物を蹴り、「次セリフを忘れたら、お前(自分自身)の脳天をぶち抜いてやる」と脅し、傍から見たら完全にヤバい怖い人と化した。冷静に考えたら、自分に向けてお前(俺)の脳天をぶち抜くなんて脅している人はなかなかにおかしい。

 

思うに、リックがそこまで自分を責めたのは、「みんなにダメな奴だと思われた」と考えたからじゃないだろうか。みんなからの評価が、世間からの評価が、そのまま自分自身の存在価値に繋がると感じているのだ。承認欲求が強すぎるあまり、他者の評価に依存し、自分自身を信じられない。他人軸な生き方、とも言えるかもしれない。

 

セリフを間違えだとしても、自分自身を信じていれば、自分軸で生きていれば、さっきは間違えたけど、そういうこともある。自分は準備を怠らなかったし、次は絶対大丈夫だ。と、失敗に大して冷静に対処することができる。他人軸で生きているから、あそこまで興奮し、自分を激しく責めたのだ。

 

リックの他者評価への依存は、子役とのやりとりの中でも見受けられる。子役のトルーディは、8歳にして確固たる演技論を持ち、他人がどう思おうと、わが道を行く、リックとは正反対の存在である。そんな彼女がリックとの共演後、「今までの人生で最高の演技」とリックを絶賛する。そんなトルーディの言葉に、リックは本気で涙ぐむのだ。

きっととっても嬉しかったんだろう。自分の演技を褒めてもらえて。いい歳した成人男性が、8歳の少女に言葉にうれし涙を浮かべる……。サラリーマンが8歳の女の子に「人生で最高のプレゼンだったわ」と言われて、泣くだろうか……?

この構図でより、リックが情緒不安定で、いかに他人の評価を気にする役者であるか浮き彫りになる。

 

だが、これはリックに限った話ではないと考えている。マーゴット・ロビー演じるシャロン・テートも、他者評価に依存している役者ではないだろうか。出先の映画館で自分の出演作を見つけ、自分から「私この映画に出てるの」と声をかけたり(しかも映画館スタッフは半信半疑)、自分の出演シーンのここぞという場面で客席の反応を気にしたり。

わざわざ映画館のスタッフに自分から声をかけたのは、「すごい!本物?握手してください!」的なちやほやが欲しかったんだと思うし、観客の反応で一喜一憂するのは、自分のやった仕事(お芝居)に対して誰かに評価されないと自信を持つことができないからではないだろうか。そう考えるとやはり、シャロンも他人の評価=自分の存在価値と考えている役者の一人なのだろう。

 

かくいう私も、他人の評価をかなり気にするタイプだ。自分のためにやっているはずのお芝居が、いつの間にか他人からの評価のためのお芝居になってしまう。監督や演出家が「いい」と言えば、私は「いい」存在。認められた存在。許された存在になる。逆に「ダメ」と言われれば、私は「ダメ」な存在。認められない存在。許されない存在になるのだ。いい加減そんな考え方からは脱したいんだけども。

そんな風に考える役者は多いんじゃないだろうか。仕事柄仕方のないことなのかもしれない。芝居は観客がいて初めてエンターテイメントとして成立するものだから。だけど、精神衛生上はあまりよくない考え方だと思う。

 

突然妙な宗教にはまったり、奇行に走ってスキャンダルになったりする役者たちも、似たような心持なんじゃないかと思う。自信満々に見えて、みんな心が脆いのだ。何かにすがらないと、誰かに褒めてもらえないと、自分自身を信じられていないのだ。表舞台で脚光を浴びるほど、心の闇が深くなり、他人に認められたい、みんなにちやほやされたいという強烈な思いを抱えている。しかし、その強烈な思いが、時に素晴らしい演技に結び付くこともある。皮肉な相互関係である。自己承認欲求をコントロールすることが、長く役者を続ける秘訣なのかもしれない。

 

自己承認欲求が強いから、役者をやりたいと思うのか。役者になったから、自己承認欲求が強くなるのか。鶏が先か、卵が先か。どっちなんだろうね。

売れっ子が、自分自身を保ち続けるのは容易ではないのだろうな。

 

あかり