本編①

少しずつ蒸し暑くなってきた、色があせた扇風機を見つめながら、そんなことを思う。

もうすぐ日が暮れるというのに、部屋の中の熱気は消える気配がなかった。

ああ、また季節が廻ろうとしている。春から夏へ。

「ウケる。」

部屋の中の熱気からでしか、季節の変化を感じ取れない自分を笑った。

久々に言葉を発したせいで、声が少し掠れていた。

 

ガチャガチャ。キィ。「ただいま~。」

母が仕事から帰ってきた。いつもだいたいこの時間だ。18時になるかならないか。

朝6時に起きて家事をこなし、8時には家を出ていく。えらいなぁ、なんて人ごとの様に思う。

私は、おかえり、と、言えなかった。

 

パソコンに向かい、文字を打ち込む。キーボートをたたく音が、心地よく聞こえる。

最近、鑑賞した映画を記録するようになった。

①記録することで、自分自身のインプットになる。

②文章を書くことが好きで、それを誰かに読んでもらえる。

そんな理由からブログを始めた。

 

自己満足だということはわかっている。でも、自分が書いた記事が、誰かに読まれるのは嬉しい。それが、1人だろうと2人だろうと嬉しい。自分自身を認めてもらえているような錯覚を起こす。私レベルの物書きなど、この世に溢れるほどいるのはわかっている。その溢れる物書きの中から、どういうわけか私にたどり着いてくれた。私の文章を読んでくれた。それだけで、身に余るほどの幸せを感じる。

 

それなのに、なんとコメントまでしてくれる人が現れた。ニックネーム、レオナルド。

彼(おそらく男性だろう)は少し前に突然現れて、私の文章を面白いといってくれた。

最近またコメントをくれたので、きっとこのブログをチェックしてくれているのだろう。

どうやって彼は、私のブログにたどり着いたんだろう。なぜ、私なんかの文章を気にしてくれるんだろう。疑問はいくつかあったけど、知らない人に褒められるのは、素直にうれしかった。私の外見でもなく、私の地位でもなく、私自身の能力を認めてくれる人がいる、そう思えた。

 

ミス・アメリカーナ

ミス・アメリカーナ鑑賞。

Netflix限定配信。

 

アメリカで絶大な人気を誇る歌手、テイラー・スウィフトに密着したドキュメンタリー作品。

Twitterでちょっと話題になってたので、気になりまして。

私の中でテイラーは、テラスハウスの主題歌を歌っていたな~くらいの認識。でも、ミス・アメリカーナを観て大好きになりました。

 

10代でデビューしてから、常に親切を心がけ、いい子であろうとしたテイラー。その実力が世間に認知されると同時に、誹謗中傷にさらされるようになります。あることないこと言われ、心をズタズタにされ。

 

それでも、彼女はここまで前を向いて歩いてきた。

真に美しく、誇り高い人だと思います。

自分の弱さも受け入れながら、それでも強くあろうとする。

覚悟の格が、そこら辺の人間とは違う。

同じ女性として、表現をする者として、尊敬します。

 

こんな美しい人を、信ぴょう性のない情報で、覚悟もなく批判する人間は、恥を知るべきだ。

 

あかり

 

Miss Americana & The Heartbreak Prince

Miss Americana & The Heartbreak Prince

  • 発売日: 2019/08/23
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

ダークナイト

役作りとは、精神を構造する作業だと言えるかもしれない。

 

ダークナイト鑑賞

 

ダークナイト (字幕版)

ダークナイト (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

クリストファー・ノーラン監督による、バットマン三部作の二作目。

バットマンゴッサムにて、毎夜悪人退治を行うが、悪は根絶するどころか蔓延るばかり。そんなゴッサムに、ジョーカーという悪人が現れる。ジョーカーは手段を問わず、悪行そのものを快楽とする極悪人だった。

 

ダークナイトというタイトルなだけあって、とてもダークな内容だった。一番正義に近いところにいた検事ハービーが、憎しみのあまり悪に堕ちていく姿。人の命を玩具のように弄ぶ極悪人。そして、まさかのヒロインの死・・・・・・。

観ている側としては、ズーンと重さを感じる映画だった。

 

だからこそ、先の展開が読めず、映画としてとても面白かった。152分の長丁場だったけど、飽きることなく観れた。

 

このダークナイトより、2019年に公開されたJOKERを先に観ていた。あのアーサーが、映画ラストで悪に身を投じてから、こんなところまで堕ちきってしまったのかと思うと、やりきれない思いを感じた(JOKERのジョーカーが、ダークナイトのジョーカーと同一人物だとは公式に言われていない。だけど私は、同じ人物として観た方が、よりこの映画たちを楽しめると思っている)。

 

ジョーカー(字幕版)

ジョーカー(字幕版)

  • 発売日: 2019/12/06
  • メディア: Prime Video
 

 

 

演技に関して、特筆すべきはやはり、ジョーカーを演じるヒース・レジャーだろう。ジョーカーとしての振る舞い、言動に違和感がなかったし、ジョーカーそのものとして存在していたように思う。映画の画面越しでも、彼の圧倒的な存在を感じたし、ジョーカーの狂気が伝わってきた。こういう役は難しい。なんとなく演じても、観ている側に違和感を感じさせるし、役者本人の自意識や迷いが前面に出てしまう。

 

 

狂気に身を落とすのは、容易なことではない。下手をすると、二度と正気に戻ってこられない可能性だってある。戻ってこられたとしても、時間がかかるし、役者の私生活を犠牲にすることだってある。だからこそ、役者は多額のギャラがもらえるのだと思う。多額のギャラでなければ、このリスキーさとつり合いが取れないからだ。

 

演技は作りものだと思っている人がいる。例えば貴方がジョーカーを演じてみてと言われたとする。きっと多くの人は、おかしくなろう、凶行に走ろうと思って演じるだろう。なにもない状態から、感情を生み出そうと自家発電するだろう。しかし、それは違う。おかしくなろうとしているあなたがいるだけで、ジョーカーとして観れないし成立しない。

 

なぜなら、ジョーカーは自分の行動がおかしいと思ってないから。彼にとっては、あれがフラットな状態だから。彼は行動を起こすたびに、おかしくなろうとは考えないから。フラットに人を殺したり、弄んだりできるマインドでないと、ジョーカーは演じられないのだ。

 

では、どうするか。

目の前の事物にただ反応し、心で感じ、役として思考し(ときに無意識的に)、アウトプットすればいい。バットマンがいる→ワクワク→楽しそうだから殺そう→笑顔でおそいかかる、このように。役としての思考回路をどう作るか、心で感じた動きをどのように表出するかが、役者として腕が問われる部分だ。役作りとは、精神を構造する作業だと言えるかもしれない。

 

役の精神が、普段の自分や自分が生きている世界に近ければ、役作りの作業は比較的進めやすいだろう。しかし、明らかに自分と離れている場合には、時間と労力を要する。凶行が楽しいと思っている役を演じるには、自身の中の狂気と向き合ったり、凶行が楽しいと思えるまで自分を追い詰めなければならない(もちろん、理性は保ったままで)。

文字にしてしまえばそれだけのことだが、とんでもなく辛い作業だ。精神崩壊したっておかしくない。

 

だからこそ、ヒース・レジャーの演じるジョーカーは見事だったと思う。

彼の狂気に拍手を送りたい。

 

※役作りに関しては色々なやり方があり、唯一絶対の正解はありません。これは、あくまで私個人の見解です。

 

あかり

 

 

パターソン

何もない日常がすこし愛おしくなる映画

 

パターソン鑑賞

 

パターソン(字幕版)

パターソン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: Prime Video
 
パターソン [DVD]

パターソン [DVD]

  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: DVD
 

 

アメリカのニュージャージー州パターソンに住むバス運転手、パターソンの一週間を彼と彼の周りで起こる出来事で丁寧に紡いだ物語。

主演はアダム・ドライバー、監督はジム・ジャームッシュ

 

言ってしまえば、特に大きな出来事が起こるわけでもなく、淡々と日々が過ぎていくだけの映画。なのだけど、同じように見える毎日も、一日一日が少しずつ違っていて、人との出会いがある。そんな日々の小さな幸せを、アダム・ドライバー演じるパターソンと自分とを重ねることで、再確認できるというわけだ。

 

映画の中で特に気になったのは、パターソンとその妻ローラとの関係性だろう。二人はおそらく結婚して日が浅い、まだ新婚なのではないだろうか。

パターソンは朝早く働きに出るが、妻のローラは仕事をしている様子はない。それどころか、家のカーテンに謎の模様をペインティングしたり(目痛くなるわ)、結構な値段のギターをパターソンに買ってくれとねだったり(もっと安いギターにしなさいな)、夕飯に奇天烈なパイを作ったり(夕飯にパイ!?)。

 

パターソンはその一つ一つに、戸惑いや反抗の表情を見せるのだが(アダムドライバーの微細なリアクションのお芝居に注目!)、口に出すことはなく、ぐっと我慢して曖昧に笑っている。きっと、言いたいことは山ほどあるに違いない。夫婦の微妙にすれ違っていく感じが、とってもリアルに表現されてた。きっと、この甘い雰囲気は今だけで、数年後にはバチバチに喧嘩しているんだろうなぁと予想した(笑)。

 

だからといって、パターソンはローラのことを愛していないのかと問われると、それは違う。パターソンは心からローラを愛しているのだ。そこを表しているのが、パターソンの書く詩であったり、朝起きたときにローラにキスをする姿だったりする。

 

映画ではよく、お互いに不満もなく、以心伝心できて、相手の全てを全肯定するといった、いわゆる完璧な愛が描かれがちだ。だが完璧な愛はフィクションだ。作り物の世界にしか存在しない。

 

パターソンでは完璧な愛は描かれない。相手に不満があっても、価値観が違うことがあっても、喧嘩をしたとしても、そういったマイナス部分も全部ひっくるめて愛する、現実的な本当の愛が描かれている。

これを好ましく受け止めるか、つまらないと受け止めるかは、個々の観客次第だろう。

 

生きるって愛するってことなのよきっと。

愛するってことは、人間を人間として受け止めるってこと

つまり、今ここにある自分を受け入れるってことなのかもね。

 

あかり

マダム・イン・ニューヨーク

言葉がなくても、心は伝わる。でも、言葉があれば、もっと伝わるかもしれない。

マダム・イン・ニューヨークを鑑賞。

 

マダム・イン・ニューヨーク [DVD]

マダム・イン・ニューヨーク [DVD]

  • 発売日: 2014/12/03
  • メディア: DVD
 

 インドに住む主婦シャシが、アメリカに住む姪の結婚式のため、単身アメリカへ行くことに。だが問題が一つ、彼女は英語が話せなかった。そのことで家族からもバカにされ、コーヒーショップで注文すらできず、号泣。意を決して四週間で英語を習い始める、というストーリー。

 

言葉の壁って、外国に行ったことがある人なら、誰しも一度は感じたことがあると思う。大衆が共感できるテーマが、映画に用いられていることが、この映画が好まれる理由の一つだと思う。

シャシがアメリカのコーヒーショップで満足に注文が出来ず、店員にバカにされ店から出て号泣してしまう場面があった。自国からでたことがない人はわからないかもしれないが、海外で人の発している言葉が理解できない、意思疎通ができないと、とてつもない孤独と絶望が襲ってくる。大の大人でも泣いてしまうくらい、不安でどうしようもなくなる。私にも経験があるからこそ、この場面のシャシには大いに共感してしまった。私のような人は、きっと多いはず。

 

シャシはインドで暮らし、ヒンドゥー語を話す。しかし、同じヒンドゥー語を話すはずの家族とは心が通わず、英語が話せないことをバカにされてしまう。シャシは家庭にいても孤独で、誰も認めてくれない。一方、英会話クラスで出会うメンバーたちとは言葉少ないながらも、お互い本音で話し合い心を通わせる。シャシの料理の腕を純粋に認め、仲間と呼べる存在になる。

この対比が面白いと思った。言葉が通じるはずなのに、心が通わない家族。言葉は通じないけど、心を通わせる仲間たち。大切なのは分かろうとする心。相手と対話し、向き合うことなのだろう。

 

だがしかし、その上でもやはり、言葉が分かった方がより世界は広がるし、相手との関係も深められると、この映画は伝えていると思う。シャシがスピーチの後、合格証をもらった描写からもそれは明らかだ。もし心が大事と結果付けたいのならば、シャシが家族と和解するシーンさえあればよかったのだから。

 

英語、話せるようになりたーい。

 

あかり

イエスタデイ

虚構の成功に縋ることが、果たして本当に幸せだろうか?

 

イエスタデイ (字幕版)

イエスタデイ (字幕版)

  • 発売日: 2020/04/08
  • メディア: Prime Video
 

 

エスタデイを鑑賞。原因不明の世界的大停電が起こり、その影響でビートルズの存在が世界から消えていることに気が付いた主人公ジャック。ミュージシャンを目指すも全くうだつが上がらない日々を過ごしていた彼は、ビートルズの歌を自分の歌だと偽り、スターになろうとする、というストーリー。

 

夢を抱いている人間なら、どんな手を使ってでも有名になりたいと思ったことはあるだろう。ジャックも、どうしても歌手として有名になりたいという思いを捨てきれなかった。ビートルズの歌を盗作することで夢を叶えつつも、毎日罪の意識に苛まれるようになる。

 

私は常々、人生で何かを手に入れるには、何かを犠牲にしなければならないと思っている。 全てを手に入れることはできない。仕事に命を懸けた代わりに、家族との時間を失う。富を手に入れた代わりに、信頼していた人との絆を失う。本作のジャックは、有名になる代わりに心の平静を失ったのだと思う。

 

上記を踏まえて、イエスタデイのすごいところは、そんなジャックを「許した」上で、彼自らが悔い改める点だと思う。

実は劇中、どういうわけかジャック以外にも、ビートルズのことを覚えていた人が二人登場する。彼らから見れば、ジャックがやっていることは完全に盗作でパクリでビートルズのコピーだ。当然、ファンだったら(ファンでなくとも)許せない気持ちになるだろう。告発してやろうという気持ちになるだろう。でも、彼らは怒らなかった。むしろ、「ありがとう」と言うのだ。ビートルズの音楽がない世界なんて退屈だ、この世界に彼らの曲を蘇らせてくれて、と。隠し事は暴かれてしまう映画が多い中、こういう展開になる映画は珍しい。

 

エスタデイは、怒りのような負のパワーではなく、許しのような陽のパワーこそが、人の行動を変えるということを伝えたかったのではないかな。

 

もしジャックが告発されたら、きっと盗作であることを認めるだろう。(そしてレコーディング会社はこれを隠蔽するだろう)しかし、それは外部からの力によって結果的に認めただけであって、彼自身の行動や思考が改まったわけではない。ビートルズのことを覚えてた二人が、ジャックに感謝をしたからこそ、ジャックは自分の間違いを改めて認め、人々にカミングアウトするに至ったのだ。有名にはなれなかったが、嘘をつくことをやめて心の平静を取り戻した。

 

ビートルズの音楽は世界に残り、ジャックは自分の人生を生き、みんなハッピーエンドで終わった(マネージャーは・・・わからんけど。)。

とてもやさしい映画でした。

 

あかり

 

タイニー・ファニチャー

モラトリアムを抜け出せない、全てが中途半端な女性の物語であり、レナ・ダナムの生き血で描いた物語でもある。

タイニー・ファニチャー(字幕版)
 

 

タイニー・ファニチャーという映画を観た。アマゾンプライムで課金しないと観られなかった。課金してまで観たかったのは、このビジュアルがとても気になったから。そして、キャッチコピーの「職なし、夢なし、居場所なし」という言葉が、まさに私自身のことだと思ったから。

 

主人公オーラは大学を卒業したものの、職が見つからず実家に戻ってきた。しかも恋人と別れたばかり。モラトリアムの真っ最中だ(モラトリアムとは、肉体年齢的には成人しているが、経済的に自立できず、社会的な責任を果たせない状態のことをいう)。

男性にアプローチをかけるも何かうまくいかず、適当に職を見つけるも給料の低さにすぐ辞め、自分のやりたいことを見失い、大切な友人のことも蔑ろにしてしまう。

 

邦画でモラトリアムといえば、「もらとりあむタマ子」が思い浮かぶ。主演のタマ子を演じるのは前田敦子。モラトリアムの最中にいるタマ子の、ぶすっとしたかわいらしさを感じる作品が「もらとりあむタマ子」だとすれば、「タイニー・ファニチャー」は、オーラのぶすぶすぶすっとした、生身のどうしようもない人間らしさを感じる作品だ。

 

もらとりあむタマ子 [DVD]

もらとりあむタマ子 [DVD]

  • 発売日: 2014/06/25
  • メディア: DVD
 

 

主演のオーラを演じるのはレナ・ダナム。主演でありながら、監督・脚本も務めている。こんな表現ができてしまう、レナ・ダナムが恐ろしくて仕方がないのは私だけでしょうか?いや、レナ・ダナムに対してだけではない。私はこの映画が恐ろしくて恐ろしくて仕方がないんだ。怖すぎる。なんてもんつくってくれちゃってんだ(褒めています)。

 

一番恐ろしかったのは、オーラがTシャツにパンツで家をウロウロする姿が何度も映ることだ。オーラはお世辞にも、スタイルがいいとは言えない。すごく美人というわけでもない。彼女が下着でウロウロする姿は、セクシーというより見えちゃいけないものが見えてる!感がある(あくまで個人的な意見です)。

 

そんなオーラを、他の役者ではなく監督であるレナ・ダナム自身が演じているということ。自分(監督)が望むものを、自分(役者)が演じるということ。完璧ではない自分の姿を、隠すことなく恥じることなくドカンと画面に映し出したこと。そんなレナ・ダナムの度胸と覚悟と表現への情熱が、すごいを通り越して怖い。同じ表現を志す者として、畏敬の念を感じてしまうのだ。そんなことされちまったら、オイラ太刀打ちできないぜ・・・という気持ちになる。

 

他にも、寝汗がすごく匂うんだろう描写とか、ピッチピチのインナーを四苦八苦しながら履いている姿とか。女性としては、マイナスになっちゃうんじゃないか!?と思われることでも、オーラという人物を成立させるために必要なことは、全部詰め込み、隠すことなく演じ切る。自虐なのか?笑っていいのか?よくわからないが、ここに他の映画にはない魅力が詰まっている。

 

実は私も、自分で演じ、監督し脚本も書くような存在になりたいんだ。

だからこそ、タイニー・ファニチャー最高!って思ったし、レナ・ダナムをリスペクトします。

いつかこんな作品が作りたい。

 いつになるんだろう。私はモラトリアムから抜け出せるのかな。

 

あかり